新選組局長近藤勇の流派としても知られる、天然理心流剣術の公式サイトです。


 

天然理心流試衛館道場の再興

釣 洋一

 天然理心流の心武館道場で大塚篤館長の直接指導を受け、長年修業を続けていた髙鳥天真は、塾頭という重席をも務めてきていたが、この度、大塚館長の英断によって、平成24年(2012)7月16日、京都道場の稽古を最後に、心武館を円満退団の運びとなっ た。  
 これは偏に大塚館長の良き理解と門人たちの大きな慈しみによるもので、感謝、感激の退団となり、誠、慶賀の至りである。
 髙鳥はこれまで、天然理心流の修業の傍ら様々な武術の修業にも励んできた。その一方で、釣が主宰する『江戸史談会』の「新選組追究部」に属して、新選組研究に勤しみながら、「赤誠一途」の精神を旨とする近藤勇を尊び敬愛して、阿闍梨(あじゃり)の如き精神修業に励んだ。
 その行く先は、新たな一門の旗揚げであり、若き日の近藤勇が迸(ほとばし)るほどの情熱を注いだ試衛館道場の再興である。
 しかし、髙鳥が修業を積んだ天然理心流は、開祖近藤内蔵之助から二代近藤三助、三代松﨑正作、四代松﨑和多五郎、五代井上才市、六代井上昌作、 七代井上義雄、そして八代大塚篤と伝承された、井上心武館の天然理心流であり、近藤周助の系譜とは異なるが、そこは新たな試衛館として発足、発展の意気込みである。
 試衛館に於ける近藤勇の天然理心流は、近藤は無論のこと沖田總司や土方歳三の死後、完全に途絶えてしまった。
 日野の佐藤彦五郎や井上松五郎などが継承したように思えるが、多摩には近藤勇五郎の撥雲館が残るのみで、試衛館は存在しない。しかも、近藤勇五郎は近藤の一粒種であるタマの入り婿というだけで、近藤勇の天然理心流とは全くの別物である。
 これまで「試衛館」を名乗る天然理心流はなかった。それ故に近藤勇の崇高な精神を顕彰すると共に、近藤の天然理心流と試衛館道場の再興を念願と して、新しく一門の旗揚げとするものである。


後援会

 試衛館をご支援いただいている後援会の皆様をご紹介致します。
青木忠弘(雅楽黎明会)、阿部正靖(奥州白河藩藩主後裔)、石河力(北町奉行石河土佐守政朝・ 北町奉行石河土佐守政武・一橋家家老石河土佐守政平後裔)、石田孝喜(歴史研究家・高瀬川研究のオーソリティ)、内田昌彦(内田写真(株)社長・明治 天皇の写真を撮った写真師内田九一子孫)、榎本隆充(五稜郭総裁榎本武揚後裔)、大出俊幸(前新人物往来社社長)、笠原克美(弁護士・流鏑馬射手・上州赤城空風連嫡師家)、加藤健太郎(旗本加藤筑後守忠恕後裔)、倉持基(東京大学特任研究員)、栗岩英雄(元千代田区教育委員長)、栗塚旭(俳優・「新選組血風録」、 「燃えよ剣」等で土方歳三を演じ一世を風靡)、河野通政(日本刀剣保存会幹事)、杉浦眞樹(丹南藩家老西村後裔)、杉村悦郎(新選組永倉新八直系)、多田敏捷(永倉新八の手記発見者)、田畑敏通(新選組屯所前川邸の前川荘司子孫)、富田俊彦(元警視庁)、長倉達郎(新選組永倉新八の実家(本家)子孫)、中島隆憲(新選組墓所の光縁寺住職)、平山晋(明治初期の軍装研究家)、YOSHIRO 広石(ラテン歌手)、藤岡弘、(俳優・武道家)、星 弘道(戒行寺住職・書家・日展理事)、掘光彦(近藤勇の写真を撮った写真師掘与兵衛子孫)、Ariel Jimenez Portuondo(ミュージックアートプロデューサー・Omara Portuondoのマネージャー)、松浦俊海(新選組墓所の壬生寺貫主)、森重和雄(古写真研究家)、山田一道(浪士隊が本営を置いた新徳寺住職)
以上、50音順敬称略
 顧問 釣洋一(時代考証家)、田野一十士(新選組屯所旧前川邸現当主)


試衛館

 新選組が誠の旗印であったことから、本当は誠衛館だったのではないかという向きもあるが、近藤周助と近藤勇の道場が試衛館であったことは、小島家の史料に楷書ではっきり残されている。流祖近藤内蔵之助と二代目近藤三助の道場について、名称は定かではない。はたして試衛館という名称が流祖から受け継がれてきたものなのか、周助の代からなのかは不明である。
 場所については、市谷甲良屋敷にあったと言われるが、詳細な場所については分かっていない。現在、新宿区市谷柳町25番地に歴史標柱が立っているが、「このあたりにありました」という解説文が記されている。
 現在、私どもが稽古している場所からも近く、日頃大変親しみを持っていると共に、試衛館の名に恥じない稽古をするべく日々精進しております。